エラ・オー・パトリックホーム

エラ・オー・パトリックホームの由来

外観

尚絅学院を象徴する建築物ともいえる「エラ・オー・パトリック・ホーム」。

この建物が1896年(明治29年)に竣工したときには、「大きな発展であって、驚異の的となった」とブゼル先生傳(栗原基著)に記されています。

その後「エラ・オー・パトリックホーム」と名付けられたのは、一人の女性の生涯、そしてキリスト教の伝道と女子教育への情熱に由来しています。

その女性こそがエラ・オー・パトリックです。


エラ・オー・パトリック

エラ・オー・パトリック

(Ella O.Patrick 1846.2〜1892.11)

裕福な家庭に生まれた彼女でしたが、幼少の頃より脊髄近くに腫瘍を発症し、生涯のほとんどを激しい苦痛と共に病床で過ごしました。しかし、病の中においても彼女の輝きが陰ることはありませんでした。

友情に厚く、どんな時も他者を真摯に悦ばせ、同様に神を愛し、キリスト教の活動に力を注ぎ、短いながらも美徳に満ちた生涯を過ごしました。特に教会活動、日曜学校の教授、世界伝道事業など宗教事業に対する働きと支援は一廉ならぬものでした。その働きは少年伝道隊、婦人伝道団、基督教婦人矯風会を生み出し、彼女はその指導者として敏腕をふるったのです。やがてシカゴの伝道会社の書記となった彼女は、日本の女子教育に多大な同情を抱いたのです。

彼女の死後、彼女の父は愛娘の志を活かすため、彼女の遺産を伝道に用い、学校の新校舎建築のために多額の寄附を行いました。この寄附を含むアメリカの多数の寄附により、尚絅女学会に新校舎が建築されたのです。

かくして1896年(明治29年)1月に竣工されたこの新校舎は、彼女の遺志を伝える形で「エラ・オー・パトリック記念館(ホーム)」と命名されたのです。

エラ・オー・パトリックホームの歴史

尚絅の歴史は1890年(明治23年)9月に家塾を聞いたことに始まります。1893年(明治26年)9月に現在の中学校・高等学校のある中島丁に移転し、すでにその場にあった住宅を仮の校舎としました。3年後の1896年(明治29年)1月19日、エラ・オー・パトリックホームは、尚絅最初の建物として竣工しました。正門付近に建てられたこの建物は、2階建の洋風建築物である「西洋館」と呼ばれる部分と、その北側に繋がる 2階建日本式木造館からなっていました。西洋館は礼拝堂、校長室、応接室、宣教師の私室などに使用され、木造館は職員室、事務室、図書室、教室、講堂として使用されていました。建設当時の西洋館の外壁は下見板張りペンキ塗りでしたが、1917年にモルタル化しました。その後昭和の時代に入ると、1953年(昭和28年)頃より西洋館は図書館として使用されるようになります。さらに戦後の学制改革に伴う校舎や講堂の再編・改築が尚絅でも進み、その過程の中エラ・オー・パトリックホームを建設位置より北側に移転することになり、1964年(昭和39年)6月に建物の方位を変えず、に北側隣接地へ平行移動されました。このとき北側の2階建日本式木造館はとり除かれ、代わって東側に書庫や閲覧室を設置、図書館としての機能を充実させました。このとき瓦屋根をトタンに変えるなど、外観の一部が変更されました。

内観

「エラ・オー・パトリックホーム」の移設と復元

本学の建学の精神を表し、その存在 自体が学院の歴史であり、心のよりどころでもあるのがエラ・オー・パトリックホームです。今回の移設・復元に際しては同窓会の皆さんからの意見も頂き、多くの時聞をかけて協議が行われました。そして今回の事業は「尚絅学院の建学の精神の礎となったエラ・オー・パトリックホームを今を生きる者の責任として再建し、尚絅学院のシンボルとして明確にアピールできる建物の復元と、“建学の精神”の過去・現在・未来が体感できる生きた場所としての利用」を目指して始まったのです。

解体前(2008年)

解体前(2008年)

日露戦争当時(1904年)

日露戦争当時(1904年)

昭和初期(1930年ころ)

昭和初期(1930年ころ)

フロアガイド

建設当初から第二次大戦中の数年間を除いて、敗戦直後までは宣教師の宿舎として使用されました。その後は、図書館、書庫、部室や同窓会室など時代の変遷と共に用途を変えてきました。近年、老朽化に伴う建物の傷みが著しいため、安全面など総合的に判断した結果2008年8月に解体され、2010年11月に名取キャンパスに移築・復元されました。この度の移築・復元においては、建設当初に近い姿に復元しています。

1F

1F
1012号室 ミード書斎
ミード書斎

当初ミードの書斎として使用されたが、後に校長室として使用された。床材は建設当初の材料を使用している。

1013号室 応接室
応接室

足踏みオルガンや観葉植物・孔雀の羽などを飾り、来客を持て成していた。暖炉の装飾は、日本の象徴である富士山が形どられている。

1014号室 礼拝室
礼拝室

朝晩この部屋で礼拝が守られていた。この建物で唯一隅切りされた部屋である。

1016号室 食堂
食堂

ミードやブゼルなど、宣教師たちは別棟の調理場で作られた料理をこの部屋に運び食事を取っていた。

2F

2F
1025号室 ブゼル書斎
ブゼル書斎

執務が行われていた部屋。アメリカ製の家具に混じって仙台箪笥も置かれていた。暖炉には一部焦げた跡が残る。

1026号室 ミード寝室
ミード寝室

ミードの好みであろう花柄のカーテンで飾られ、ベッドや鏡台などが置かれていた。

1027号室 ブゼル寝室
ブゼル寝室

現在も残る鏡台(ドレッサー)や飾り棚の他に水牛の頭部を形取ったベッドなどが置かれていた。

建築概要

位置
宮城県名取市ゆりが丘四丁目10番1号
設置者
学校法人尚絅学院
完成年月
2010年11月
建築規模
建築面積:136.57m2 延べ床面積:271.87m2 軒高:8.08m 木造地上2階建
室内構成
1階:礼拝室、ミード書斎(史料展示室)、客間、玄関ホール ほか 2階:プゼル書斎 ほか
屋根・外壁
屋根:日本瓦葺(新規) 外壁:下見板張り(新規)
床材
解体修復の上、再使用
装飾部材等
暖炉装飾、建具枠、内部建具、装飾階段