連載コラム FACE(フェイス)

「ほおずり」を伝え切る

2009/05/01

大学女子短期大学部教授・同附属幼稚園園長 岩倉政城 大学女子短期大学部教授・同附属幼稚園園長 岩倉政城

 子どもを相手にする保育士を目指す学生に「ことばがけが大切です」は浸透している。その学生に精神や言語について講義するとき、「ゆりかごの歌」をみんなで唄ってもらう。

  ゆりかごのうたをカナリアがうたうよ、ねんねこねんねこねんねこよ。
                            (作詞: 北原白秋、作曲:早川信)

 「いい唄だ〜、メロディが素敵」、などのため息が漏れる。次に、唄いながら隣の人の背中を一斉にトントンさせてみる。「え〜?なんか眠くなってきた」、「なに〜これ。おかあさん想い出しちゃった」、「懐かし〜、これ唄ってもらったよ〜」。トントンはことばではない。ことばでないもので人が揺り動かされていることを体得してもらう。

 こうした授業展開を経て学生は保育実習に、施設実習に旅立っていく。
 その学生の一人が児童養護施設で2週間を過ごした。この施設は何らかの理由で両親によって育ててもらえなかった子どもたちが暮らす場である。そこでの子どもたちの会話の合間に「ほおずり」という言葉が出た。小二の女児が「『ほおずり』ってなに?」と訊いた。一瞬の沈黙が流れて、かの実習学生は意を決して相手の頬に自分の頬をつけた。「これが『ほおずり』よ」、と言葉をそえたが、子どもは飛び退いて避けたという。しかし学生はひるまなかった。2週間の実習中、この子に会うと寄っていって挨拶にほおずりを続けたのだった。そのうちにこの子はようやく顔をそむけなくなってきた。実習最終日、子どもたちみんなの前で学生がお別れの挨拶をしたところ、その子が走り寄ってきて「さようなら」、と頬ずりをしてくれたという。

 言葉にはそれを裏付ける体験がある。「ほおずり」も、「やさしさ」も、「思いやり」も、幼い頃の肌の触れ合い、ぬくもり、におい、そうした五感の心地よい堆積の成果としてはじめて情感を伴った生きた言葉になる。
 「ほおずり」を広辞苑からではなく、「ことばがけ」でもなく、2週間の体感の積み重ねで伝え切ったこの学生に拍手を送りたい。