連載コラム FACE(フェイス)

明治期の宣教師と仙台

2005/01/01

文: 理事長 宍戸 朗大 文: 理事長 宍戸 朗大

 E・H・ジョンズは仙台に初めて定住した外国人です。彼は1884年(明治17年)に着任し、1886年に現在本学の中学校・高等学校の校舎がある土地を購入して宣教師館を建て、ここを拠点として宣教活動を行ないます。彼はその頃のことを次のように記しています。

・私共は明治17年に日本に来た。仙台へは12月の初めに着いた。その頃の仙台は非常に汚かった。多くの町には蓋をしない下水があった。夜はちょうちんを携えて歩かなければ下水に転がり込んだ。
松平宮城県知事は、私の男の子が生まれた時に「田村丸」と名づけてくれた。この子は東北地方で初めて生まれた外国人の子供であった。
田舎の者の多くは私共を毛唐人とか国賊とか呼んだが、政府は非常に親切で、知事はしばしば私共を訪問した。
その頃、東北地方に定住していた外国人は私共だけであった。それで私共は珍しがられ、多くの人びとが私共を見に来た。私共を見るために、舌で障子に穴をあけたので障子が穴だらけになったことがある。私共夫婦と田村丸は見世物になった。


アニー・S・ブゼルは1892年11月に着任します。26歳の時でした。以来27年間にわたって尚絅の教育と伝道に心血を注ぎますが、その彼女が来仙当初の体験を故郷の新聞に寄稿しています。以下はその一部です。

・今、私が筆を執っている部屋は一種異様な日本家屋です。紙の壁に囲まれて、床は敷物で覆われています。この敷物は普通の敷物ではなく、裏をつけ、わらを詰めたもので身体の重みでめり込みます。
日本家屋はきれいですが暖かではありません。夏は涼しいでしょうが、冬はまったく楽ではありません。

・私の日本語の先生・久保寺さんは背のすらりとした痩せぎすの上品な青年で、婦人のように優しい手をしています。日本人は一般に手が美しいようです。彼は20歳の青年にしてはいたって沈着で、まだ口ひげの生える気配もありません。足には親指を入れる袋のある木綿製のミットを穿いています。

・土地の人は外出する時は男も女も子供も木製の下駄を履きます。これは竹馬のようなもので、地上から12、3センチ高くなり、石の上でも泥の中や雪の中でも平気で歩けます。
重い荷車とか人力車を引っ張る人はわらじを履き、これを細い紐で結んでいます。
子供たちは帽子も被らず、手も足もむき出しで、時には赤ん坊をおんぶしたまま背中まで露出して街頭に出て遊んでいます。

・往来を歩くとたまには外国人紳士が雑多な群衆の間に立派な姿を現わして、私の目を悦ばしてくれることもあります。
今、仙台にいる外国人は男子8人、婦人13人、子供17人です。